shinjihi

「働くお母さんたちは、出かける前に8秒間抱きしめてあげなさい」

by井深大(ソニーの創業者)

抱きしめてあげるだけも愛は伝わります。忙しいといわずに8秒間だけ時間を取ってあげてください。

「母の前で平気にするいたずらは、信頼感のあらわれ」

著書『子育てにとても大切な27のヒント—クレヨンしんちゃん親子学』より

子どもがいたずらできるのは、親を信頼している証拠です。クレヨンしんちゃんの野原しんのすけも母・みさえの前で平気でいたずらをします。これは母親を信頼している証拠なのですね。

「究極の育児は、夫婦が仲良くしていること」

映画『うまれる』より

子供の事ばかり考えて、夫の事を後回しにしていませんか?子供は夫婦の関係を敏感に感じ取ります。夫と仲良くなることを忘れずに!

「子育ては塩加減、砂糖加減に味加減、 手綱加減に、手加減、湯加減です。 大変です。」

by美輪明宏

子育ては本当に大変。頑張りすぎると逆効果なことも。たまには手を抜いていいのです。リラックスしてください。

「子育てはつらいのと楽しいのどっちも、という、択一ではない状況に慣れてきた」

by古賀及子

子育てを『楽しまないといけない』と自分を追い込んでいませんか?子育ては『楽しい』ことも『つらい』ことも両方あります。どっちも正しいんです。どちらも受け入れる自分を作りましょう。

「赤ん坊は母親の目を見ているだけではなく、 自分を見ている母親の目を見ている」

byドナルド・ウィニコット(イギリスの小児科医、精神科医、精神分析家)

あなたは子供をどのような目で見ていますか?あなたが子供に感じていることを子供は敏感に感じ取ります。あふれんばかりの愛情をもって子供を見てください。

「子供たちのことで、何かを直してやろうとするときにはいつでも、それはむしろわれわれのほうで改めるべきことではないかと、まず注意深く考えてみるべきである。」

by ユング(スイス:精神医学者・心理学者)

子供は親を映す鏡です。子供の悪い部分は親の影響を受けている事が多いです。子供を注意するまえに、まずは、自分を見直してみてください!

「親にとって、子供はいつまでも子供である。たとえ、子供が白髪になっても。」

by ジャネット・リー

子供はかけがえのない存在です。いつまでたっても子供は子供。ずっと愛しい存在ですよね。

「子供を利口に育てたいと思ったら、利口であると言い続けなさい。否定的なことを言ってはいけません。」

by ジョセフ・マーフィー(20c米:教育家・牧師)

子供のセルフイメージを壊さないでください。「自分はバカだ」と思いこんだ子供は本当にバカになってしまいます。逆はおわかりですよね?

「子どもより大切な存在ってあるかしら?」

byオードリー・ヘプバーン

usaginobike
先輩に教えられたこと。一般性があるかどうかはわからないけれど、ちょっと思い出したのでメモ。
「会社に、先生はいない。ルールを変えたかったら、周囲を説得して、自分で変えるんだ。全ての社員に、そのために必要な権限とツールが与えられている。こんな貧弱な道具では無理だ、できっこない。みんな最初はそう思う。でもね、基本的には、社員も社長も大差ないんだ。だんだんわかってくるよ」
もっと端的な表現として、これは別の先輩の言葉だけれども、「この会社に、神は存在しない」という説明にはシビレタ記憶がある。
中国は共産党1党支配。地方の村などを除いて自由な直接投票の選挙がないこともあってか、1位発表時にはサイリウムが乱れ飛ぶなど会場のファン3500人は興奮状態になった。同選挙は今後も毎年開催の予定で、来年7月に第2回を1万人以上のアリーナで開催することも発表。中国ではアイドルから選挙の概念が広がっていきそうだ。
ittm
案外、知られていないが、ウィキペディアの執筆者というのは実は専門家とは限らず、海千山千のそれこそ有象無象の人たちである。だからウィキペディアに書かれていることは、実は正しいとは限らないケースが意外とある。
 
ところが、ウィキペディアに書かれているというだけで無条件に信頼してしまう人も多い。そんな訳で、本来、「明らかに間違った情報」なのにウィキペディア に掲載されたことで、それが「正しい情報」としてネット上に拡散されていくという、情報ロンダリングを過去に幾つか目の当たりにしてきたのだけど、今回は その辺に少し触れてみようと思う。
 
急にこんなことを思い立ったのも、ヤフー知恵袋で「『山下清』の本名が『大橋清治』だという説がありますが‥」(質問日時2011/5/24 14:14:55)という質問を目にしたからである。確かに、ウィキペディアの「山下清」の項目(2011-05-28 02:38:27現在)を見てみると、「本名:大橋清治」となっていて、なぜか山下清の父親の名前も「大橋清治」である。ヤフー知恵袋の人はこの辺から疑 問に思ったようだ。
 
ネット上ではすでに、「山下清の本名は大橋清治」という情報は拡散して、既成事実化されつつあるようだ。ところが、山下清の本名が大橋清治であるという情 報の出どころというのは実は不明なのである。山下清の訃報記事、あるいは生前に山下清を取り上げた新聞記事、週刊誌記事、そして伝記、さらには人名事典の たぐいまで、あらゆる史料をあたったが、そんな話はどこにも書かれていない。
 
ウィキペディアの履歴を見ると、この情報は2007年8月31日 (金) 02:27の版で書き加えられている。その時点では山下清の父親の名前が大橋清治という情報は、ウィキペディアの山下清の項目には記されていなかった。す ると、大橋清治を山下清の本名と最初に加筆した人というのは、父親の名前と混同して誤って記してしまったのではないか。
 
これを覆すには「山下清の本名は大橋清治ではない」という史料を提示するしかないのだけど、そもそも山下清の本名が山下清であった場合、わざわざ「山下清 の本名は山下清」なんて記述をする新聞、週刊誌報道、伝記、人名事典がある訳なく、山下清の身内か、はたまた最初にウィキペディアの山下清の本名情報を加 筆した人しか、「山下清の本名は大橋清治ではない」というのを証明しようがないのである。
 
このブログでも過去に3回、ウィキペディアについては取り上げたことがある。
 
http://blog.goo.ne.jp/moominwalk/e/e45fc0bd847a8a61a0e58c72f105add9
ブレービー
 
http://blog.goo.ne.jp/moominwalk/e/a7c542a931ffdc6e076c69d0a85d3c54
中岡慎太郎をめぐる怪説
 
http://blog.goo.ne.jp/moominwalk/e/bf1e862ed603715567a17d42a3036186
作家の推理が史実とされるまで
 
これ以外にも、現在は直されているけれど、ウィキペディアでは菊田一夫の没年を本来の1973年ではなく、長らく1972年としていた。いまだにネットに 散見される、菊田一夫の没年は1972年という誤った記述は、このウィキペディアの情報ロンダリングに引っかかった人たちによるものである。
 
ほかにも、ネット上で多くの人が引っかかっているものでは、東京への初の本格的な空襲を1944年11月14日とする記述がある。これはウィキペディアの 「東京大空襲」の項目(2011-05-28 02:38:27現在)に誤った記述があるためで、正しいのは11月24日である。また「天皇誕生日」の項目(2011-05-28 02:38:27現在)においても、大正年間を通じて大正天皇の本来の誕生日である8月31日は実際に祝日となったことは無いにも関わらず、1913年だ け祝日であったかのような誤った記述がある。
 
また新しいところでは、「研ナオコ」の項目(2011-05-28 02:38:27現在)で、彼女が「1977年 大麻取締法違反(所持)容疑で逮捕」とあるのも誤りで、実際は「任意で事情聴取後、書類送検され起訴猶予」である。
 
http://blog.goo.ne.jp/moominwalk/e/e3c5d9344a0dca387976e0cd68208f56
研ナオコをめぐる怪説
 
ウィキペディアの記述を「証拠」とされ、誤った情報でバッシングを受けた実例である。大正天皇の誕生日は祝日かうんぬんという話ぐらいだと間違った情報が 拡散しても被害はウィキペディアを鵜呑みにした当人が恥かくだけで済むけれど、ここまでくると、ウィキペディアの情報ロンダリングは害悪と言ってしまって もいいだろう。
 
ネットの草創期、自分は「東京裁判の死刑執行人の中に若き日のキング牧師がいた」という誤情報(出典は児島襄の著作をネタにしたクイズ番組)を鵜呑みにし て、ある個人HPのコミュニティで恥をかいたことがあって、それ以来、この手の情報にはえらく慎重になった。恥をかくぐらいならまだしも、誰かに実害が出 る虚偽情報の拡散に知らないうちに加担してしまわないよう、ウィキペディアの「情報」を引用する場合、まずその「情報」の出どころを確認してみる習慣をつ けておけば間違いないだろう。
yellowblog

みんなすごく真面目に働いてる。よくある9時5時のイメージとは大違い。

残業するのがデフォルトだし、終電帰りも全然珍しくない。

しかも、残業代予算に限りがあるから、50時間残業しても20時間分しか出ない。それでも文句言わず働いてる。お疲れさまです。

賄賂とか横領みたいな不正も全然ない。それどころか、文房具とか交通費とか、持ち出しで職員個人が負担していることも多い。財産が動く時はものすごく煩雑なチェックを受けなきゃいけないから、私利のために使うのは不可能なのだ。

ただし、やっぱり仕事無駄が多いと思う。

具体的にどんな無駄が多いのかというと、「自分たちが不正を働いていない証拠を作る仕事」が異様に多い。

どうでもいいと思うようなことまで全部記録してファイリングして保存する。たとえば、役所からは毎日何百何千の郵便物を送るんだけど、その宛名と担当課を全ていちいち記録している。

確かにこれで、職員が切手を私用で使うことは不可能だ。でも、書き写す係の職員を何人も雇わなければならず、その賃金のほうが、悪い個人がたまに切手をくすねる額よりも遙かに多いと思う。

会議は発言全てを議事録に残して、公開している。テープ起こしのために支払われる残業代はかなりの額だろう。

その会議を開くのにも、女性を入れなきゃいけないとか、外国人を入れなきゃいけないとか、住民公募しなきゃいけないとかで、メンバーを集めるだけで一苦労だ。しかも、せっかく選考した公募委員が当日あっさり欠席したりする。

住民(とその代表である議会)から質問された時のために、厚さ10センチくらいの資料を毎年4回作らなきゃいけない。この資料のためにわざわざ大がかりな調査もする。で、ほとんどが実際は質問されることないまま終わる。

これらは全て、住民が行政に対して「もっと正確に」「もっと公平に」「もっと透明に」を求めた結果なのだ。確かに正確も公平も透明も大事だけど、これじゃ「正確な仕事」ではなく「正確“が”仕事」だ。「仕事」の部分はもはやサブである。

ひょっとすると、人件費を減らすためには、住民がガミガミ言うのをやめるのが一番の策なんじゃないだろうか。

来年公務員試験を受けるつもりだったけれど、このままモチベーションが保てるのか、微妙だ。